デジタルな旅、アナログの道
CDラックを調べたら、日野皓正名義のCDが21枚あった。こんなに持っているとは思っていなかったが、ま、知らないうちに集まったのだろう。そのうち半分以上はアナログで持っていたものをCDで買い換えたものだ。好みに偏りがあって、1970年代のフュージョン全盛期のアルバム(『シティコネクション』ほか)は持っていない。
よく聴くのは『トリプル・ヘリックス』(下写真)だ。ピアノの菊地雅章、パーカッションの富樫雅彦、ベースのジェームズ・ジナスと組んだライヴ・レコーディングだ。このアルバムはクラシックやロックなどあらゆるジャンルを含めて、20世紀の音楽史に残るものだとぼくは思っている。
エモーショナルな演奏だが、極めて高度なコントロール(抑制)がきいている。知性的な音楽と言っていいかもしれない。しかし、知性的でありながら、決して頭でっかちではない。
一応お断りしておくと、「知性的」とは、「勉強ができる」という意味ではない。勉強ができる人たちの集団である社会保険庁などがいかに「反知性的」であるか、改めて言うまでもない。
先日のジャズ喫茶一関ベイシーのライヴは、この『トリプル・ヘリックス』を彷彿させる演奏だった。
ライヴのレポートでも触れているように、日野さんのライヴはMCが長い。しかも、おもしろい。MCに大きな拍手が起きると「おしゃべりで喜んでいただけるなら、こっちのほうが楽でいい。トランペットは疲れるからねえ。でも、あんまりしゃべりすぎると『金返せ』と怒られそうだからそろそろ演奏しないと」と、また笑わせる。
ニューヨークで暮らしている日野さんは、日本という国を外から客観的に見つめている。ベイシーでのライヴの際も「コロッケも年金も信用できない」と嘆き、「今の世の中、地獄ですよ。でも、ここにいる我々は地獄に咲いた蓮の花です」と結んだ。
蓮の花は御仏さまの花だが、宗教的な意味で言ったわけではない。「純粋な心」を、そのように表現したのだと思う。
実際、日野さんは純粋な方だ。それが音楽に取り組む姿勢にあらわれているし、音楽からも滲みでている。
純粋であること、純粋でありつづけることは、決して楽ではない。
「ヒノちゃんは天然というか、生まれつきの才能だけでやってるように見られがちだけど、それだけじゃないんだよ。勉強して、努力してきたんだと思うよ。それを今もつづけている。技術的にも常に前進しているし」
とベイシーの菅原正二マスターがおっしゃっていた。菅原さんは日野さんとの付き合いが長いから、我々には見せない面もよく知っている。
日野さんが『五輪書』(下写真)を愛読していたというのも、そのひとつだ。宮本武蔵がこの本で示しているのは、「剣の道に必要なこと以外はやらない」という徹底した合理的精神だ。日野さんはこれを彼なりに会得して、純粋にジャズの道を生き、歩いてきたのではないかと菅原さんは言う。
ジャズと『五輪書』。まったく結びつかないような二つの文化が日野皓正さんの血肉となっている。
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